新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延によって、2020年3月頃から各州が一時シャットダウンを経験した。その後、変異株の流行等を経て、本稿執筆時点(2022年3月)では、新規感染者数は落ち着きつつあり、リモートワークからオフィス勤務へ回帰する企業も増加している。他方で、ウイルスの流行が終息に向かうか否かは依然として不透明であり、今後も、相当数の企業が、リモートワークや出張の差し控えを継続することも想定される。このコロナ禍において、働き方の改革を迫られた企業は多かったのではないだろうか。特に、シャットダウンによってリモートワークが必要になり、それに伴って様々な問題に直面した企業も相当数存在したよう思われる。

リモートワークへの移行にあたって日系企業の課題として、日本特有のハンコ文化が挙げられる。多くの日系企業では、契約書や社内の決裁文書等の内容に合意・承認したことを示すため、文書に記名押印することが一般的なプラクティスになっている。そのため一部の企業では、会社としてはリモートワークが推進されているものの、一部の従業員は押印のために出社しなければならなかったという話も聞く。このようなプラクティスは昨今非効率的なものとして問題視され始めており、例えば経団連前会長の故中西宏明氏は、ハンコ文化は「ナンセンス」だと批判している1。そして、菅前政権下ではデジタル庁が発足して国をあげての対策が始まり、岸田新政権下でも、2021年12月、「デジタル社会の実現に向けた重点計画」が閣議決定された。

リモートワークの普及に伴い、電子署名を活用する日系企業が徐々に増えつつあるが、未だ電子署名が一般的になってきているとまでは言い難い。ドキュサイン・ジャパン株式会社が日経BPコンサルティング株式会社に委託して2021年7月に実施した調査によれば、電子契約/電子署名サービスを既に導入している企業の割合は18%(導入予定まで含めると28%)である2。電子署名が日本において必ずしも普及していない理由については、システム導入に伴う技術的な問題やメリットが不明確である等の理由の他に、電子署名に係る法制度がわかりにくく、紛争になった場合に、文書(紙)に記名押印する場合に比べて、不利に働くのではないかという漠然とした不安感も一因としてあるように思われる。

そこで本稿では、脱ハンコ文化及び電子署名の活用に関心がある日系企業のために、これに関する法制度を簡単に紹介したい。具体的には、「何故ハンコ文化が残っているのか」を法制度の観点から説明した後に、日米の電子署名に関する法律を簡単に紹介する。

一般に押印が必要と思われている文書として契約書や社内の稟議書等が挙げられるが、日本法上、これらの文書の成立に押印をする必要は通常ない。更に言えば、契約の成立や意思決定にあたって書面の作成すら不要である場合が多い3。それでは何故わざわざ書面を作成して押印するのかというと、後日契約等の内容を巡って争いが生じた場合に備え証拠化するためである。

では、後日証拠とするにあたって、何故押印することが有用であるのか。民事訴訟法上、民事裁判において文書を証拠とするには「成立の真正」、すなわち、その書面の内容が作成者の意思を正確に表現したものであることを証明する必要がある。しかしながら、裁判実務上、直接に「その書面の内容が作成者の意思を正確に表現したものであること」を証明することは難しい。そこで、日本では、法律によって、書面に作成者の意思に基づく押印がある場合には、その書面の内容は作成者の意思を表現したものであると推定することが認められている。また、ハンコは、通常、厳重に管理されることから、判例上、書面に作成者の印影(ハンコの跡)が押印されていた場合、その印影は「作成者の意思に基づく押印」であると推定することが認められている。すなわち、日本法上は、作成者のハンコが押印されていれば、その文書は作成者の意思に沿った内容を表現しているものとして推定され、相手方の反証がない限り、民事裁判上証拠とすることができる。以上から、契約書など後々の証拠として残す必要性の高い書類には押印をするというプラクティスが残っていると考えられる。

電子署名利用のための法律

電子署名の利用のための法律として、日本では「電子署名及び認証業務に関する法律」(電子署名法)、アメリカでは「Electronic Signatures in Global and National Commerce Act」(ESIGN Act)という連邦法が制定されている。どちらの法律も、一定の場合に、電子署名を押印または手書きの署名と同様に取り扱うことを定めたものであるということができる。

電子署名法では、電子文書(電子契約)に対して、本人だけが行うことができる電子署名が行われていれば、当該電子文書は真正に成立したものと推定する旨の規定が置かれている。すなわち、本人だけが行うことができる電子署名を行うことによって、その文書は作成者の意思に沿った内容を表現していると推定すると定められている。この推定は上述の通り押印の場合に認められる推定と同様であり、すなわち同法は、適式な電子署名を行うことに対して、ハンコを押印することと同様の効果を与えているといえる。

ここで「電子署名」とは、同法で、デジタル情報(電磁的記録に記録することができる情報) について行われる措置であって、(1)当該情報が当該措置を行った者の作成に係るものであることを示すためのものである こと及び(2)当該情報について改変が行われていないかどうかを確認することができるものであることのいずれにも該当するものとされている4。この定義はかなり曖昧なものであり、かつ未だ、定義の外郭についての裁判例の集積もないため、何が「電子署名」にあたるかなど5不明確な面があるのが現状ではある。もっとも、様々な業者が公開鍵暗号方式を用いたデジタルな本人証明手法等が電子署名にあたると整理して電子署名サービスを提供しており、現在電子署名を活用している企業では、このような業者と契約して電子署名サービスを利用しているようである。

アメリカでは、日本と異なり、契約成立のために、書面及びそれに対する署名が法律上要求される範囲が広い。ESIGN Actでは、一定の要件を満たした電子署名によって締結された電子契約でも(手書きの署名がある契約書と同じく)法律上の書面・署名要件を満たすとされ、単に手書きの署名ではなく電子署名がなされたという理由のみで、文書の有効性や強制執行可能性を否定することはできないとされている。すなわち、一定の要件を満たした電子署名によって締結された契約は、契約成立に係る法律上の要件を満たし、かつ裁判になった場合にも、手書きの署名がなされた契約書と同等の取り扱いがなされるということができよう。

ESIGN Act上、電子署名に要求される要件としては、(1)実際に署名者に(電子)署名をする意図がなければならない、(2)両当事者において、電子上でビジネス(署名)を行うことに同意しなければならない、(3)なされた電子署名がそれを作成したシステムと結びつき、記録化されている必要がある、(4)電子署名は保持・再生可能でなければならない、といった要件がある。現在、ドキュサイン社等、様々な業者が独自にこれらの要件を満たすと整理した各々の電子署名サービスを提供している。

終わりに

以上の法制度面の紹介が、御社の電子署名活用の検討の一助となれば幸いである。デジタル庁が推進する法改正の動向を見据えながら、日米間の書類の電子署名の活用にも拍車がかる時代に備えておくことが重要だ。


1. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58536970X20C20A4EE8000/
2. ドキュサイン・ジャパン株式会社「『電子契約/電子署名サービス』国内市場の現状とニーズ」7頁
 3. もっとも、事業用定期借地権設定契約等の一定の類型の契約を締結する場合には、例外的に書面による必要がある。また、定款で株主総会の議事録に取締役の押印が必要である旨定めた場合など、一定の場合にはプラクティス上押印が必要になることにも留意されたい。
4.「利用者の指示に基づきサービス提供事業者自身の署名鍵により 暗号化等を行う電子契約サービスに関するQ&A」問1(総務省/法務省/経済産業省・令和2年7月17日)
5.  なお、本人だけが行うことができる、という要件についても、如何なる要素を満たせば認められるか、今後の裁判例の集積が待たれる。


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